社長メッセージ集(Discover 加茂さん)

[2009.02.06]

Heart Attacked


実は私、昨年11月22日(ホノルル時間)に心臓の手術をしました。
術後、既に2ヶ月が経過しとても調子が良く、現代医学の素晴らしさと、関係各位のケアに対し、深く敬意を示すと共に、感謝申し上げたい気持ちです。

振り返ってみれば、11/17からホノルルに滞在し、ゴルフを中心とした休暇をとっておりました。11/20には、友人のベトナム人Mr.チューの自宅で開かれたバーベキューパーティーに出席し、久しぶりに美味しいお肉をたっぷり食べて、ビールも少々頂きました。普段から私は肉をあまり食べず、魚・野菜中心の食事ですが、お呼ばれの席でしたので、まあいいかという気持ちで美味しく頂きました。翌11/21も、別に調子が悪いわけではありませんでしたが、胸の周りが時々痛くなっては20〜30秒で消えるという感じでした。
そして明日日本に帰国するということで、21:00には床につき眠りました。
翌朝、4時頃目が覚めて、(少し早いな、でも今日帰るから本でも読んでいよう)とベッドで本を読み始めたら、少しして胸の辺りに違和感がありましたが、すぐに消えるなと思っていました。でもその朝は、消えないのです。(あーそうか、昨晩マッサージをしたから、もみ過ぎたのか)と思っていても何か変なのです。ホテルのconciergeと友人のマーク君にTELをし、マークには塗り薬のサロンパスを買ってきてもらい、胸に薬をつけても何か変なのです。時間は5:20〜30でした。
その日は、ホノルルでは珍しい位、強い雨が降っていました。
医者に行こうと決め、東京にいる息子に電話をし、マークの車で≪ドクターオンコール≫という病院に行きました。6:00頃だったと思います。
ショートパンツにビーサン、ポロシャツのスタイルです。病院につくと、老齢のおばさんから英語でポンポンと質問をされ、「ドクターはまだ来ていない、ここに座って」と脈と体温を計られました。
ドクターが6:30頃来られ、ベッドに寝させられ、心電図の様なものをとられました。そしてその図形を見てドクターは「すぐに大病院に入って手術をした方が良い。この人はどういう人?」という事をマークに尋ねていました。
「救急車を呼んでOKです」と私が答えたら、すぐ救急車の手配をし、私は不安な気持ちで救急車を待っていると同時に、もう一度東京の息子にその旨を伝える電話をしました。「すぐにホノルルに来てくれ!!」と。その時何かヤバイ気配がしました。
救急車は間もなく6:55頃に来て、雨の中乱暴に乗せられ、いきなり「痛いか?」と聞かれ「痛いです」と答えると、ニトロらしい薬を舌下に「痛みが和らぐから」と一錠入れられ救急車でガタガタ揺られながら目を閉じて次なる病院に到着するのを待っていました。胸は痛いままです。
7:20頃、次なる病院≪ストラブ ホスピタル≫の救急室に、タンカーに乗せられたまま運ばれました。
到着と同時に今度は5〜6人のドクターとみられる人に「痛いか?痛いレベルは1〜10でどのくらいだ」と聞かれました。程度の意味はよく分りませんでしたが、「10。痛い」と、最も高いレベルを答えました。そしたら、またニトロ1錠です。「これを飲め、ドクターは今に来る」と伝えられ、又、飲みました。
5分程すると今度は「痛みはどうだ?」とまたレベル1〜10を聞かれ、「先程と同じだ」と言ったら、もう一錠です。「とにかく今から手術をする」と言われ、「もう一度東京に電話をさせてくれと」と言って、息子に「心配ないけど手術をする」という旨を伝え、今夜の便でホノルルの病院に来る様申しつけました。そうこうしていると、ドクター・チェン先生がお越しになり、顔を見ると東洋人で、何となく親戚の雅夫兄さんに似ている人だなーと思い、笑えました。ドクターは、変な日本語と英語を混ぜて喋っていました。
すぐに手術の準備を皆に指示し、私は救急車に乗せられたタンカーのまま手術室に運ばれ、局部麻酔をかけられ、ステントの手術をしました。何の手術をしているのかは全然分りませんでしたが、心臓のモニターが左側の顔の前にあるので最初は覗いていましたが、目をつぶりじっとしていました。
「終わりました」という合図があり、時計を見ると9:10でした。
そのまま集中治療室に移され、点滴やら投薬やら、又色々な機具を取り付けられ、次から次へと人が来て、色々聞かれたり、「安心しろ」と激励されたりしているうちに眠ってしまいました。
1時間経ったので、又、東京の息子に手術が成功したことを伝えると同時に、ホノルルに明日来るairを聞き、友人のチューさんの奥さん(日本人)に電話をしました。そしたら、午後になり、少し安定している時間帯にホノルルの友人、ホテルの方と皆さんがお見舞いに来て下さいました。
そしたら病院側も気を利かせて、集中治療室の特別室に私を移動させてくれ、少しリラックスして応対できる様にしてくれました。その部屋は、ナースセンターの目の前の部屋でした。
部屋にはトイレや座ったまま入れるバスルームもあり、(すごいなー)とは思いましたが、(ここは日本でない、アメリカなのだ)と思うと、変に気を許してはいけないなどと、又余計な事を考えながらTVなども見る気もせず、1日1時間ごとにやってくる看護婦さんと助手さんの言われるままの事を素直に聞いて、明朝を待ちました。
夜中も1時間おきに、体温・血圧・脈拍を取りに来るので、眠っているのかどうか分からずにいたら、朝7:00になっていました。
7:00には朝食が出て来ましたが、まずそうであまり口にしないでいたら、「病院でOKをもらったから」と、チューさんの奥さんが食べ物、フルーツも持って来てくれて、パイナップル、パパイヤ、苺を頂きながら、息子の到着を待っていました。
8:00頃にチューさんから奥さんに電話が入り、「飛行機(ANA)が1時間遅れている」と伝えられ、「あーそう」とあくびをしていました。
予定より1時間遅れて息子がチューさんと病室に入ってきた時は、(本当にすまないことになってしまった。でも心配ない)という複雑な気持ちで顔を見合せたら、息子も安心の顔をしていたので、すぐにいつもの親子の関係に戻れました。

手術の翌日、痛みはすっかり消えていました。(手術前にはあんなに痛かったのに、あー良かったなぁ)という思いがして、一安心していたら、(ところで保険はどうなるのか)頭の中で考え始めました。
取り敢えず、会社に電話をすること、保険会社と病院、保険会社と私との事を息子に調べさせる様にしました。
2日目も過ぎ、体調も良いので、明日の午後にはホテルに帰れると聞かされ、更に嬉しくなり、息子と一緒に寝れる部屋を取って頂き、2日目を過ごしました。
3日目(11/24)、朝から調子も良く、(今日はホテルに帰れる。アメリカのシステムはすごいなー)と思っていたら、昼食後退院する1時間程前になった時、何か左胸ではなく右胸にまた違和感があったので、ドクターを呼び、チェックをしてもらったら、「もう一度手術をしよう」という結果です。
その時は、(どうしてこうなるのか、1回目がうまくいかなかったのかな、まだどこか悪いのかなー)と変な心配事が頭をかすめました。でも(大丈夫だ、ドクターを信頼するしかない、手術をしよう)と決意し、手術の服装に着替えたらすぐ手術は出来ず、さすがに2回目の手術では『死』という字も出てくるし、母親、父親の顔も出て来ました。
看護婦さんが「He is crying」とドクターに言っているのを聞き、恥ずかしかったので目をつぶって手術を受けていました。
又1時間くらいするとドクターが「I’m lighting=肩の荷が下りた」「All Fixed up=全てうまくいった」といった会話をスタッフとしているのが聞こえました。
それと同時にドクターが私の耳元で「大丈夫」と言ってくれました。又、涙がどっと出ました。
その後は又、集中治療室で一時間ほど安静にして、自分の病室に戻りました。
次の日は、すっきりした気持ちで病室にいると、ドクターが「今日の午後、帰っていいよ」と言ってくれました。(本当?)と思い、息子に確認させたら「間違いない」との返事、嬉しかったです。
あとは日本にいつ帰れるのか、電器堂の社員にいつ会えるのか、その日ばかりを考え、ドクターとも相談したら11/28再チェック、11/30帰国OKとの返事。後は、チケットが2枚取れれば全てOK。
チューさんの奥さんに電話をしたらこれもOK。(なんて俺は運のいい男なんだろう)と、うきうきしながらハレクラニホテルに戻りました。
そしたら又、ホテルの方々、ハワイの友人、みんながお見舞いに来て、差し入れをしてくれ、私の退院を喜んでくれたと同時に、これからのケアの仕方を教えてくれたり、色々お手伝いをしてくれました。
息子と2人で皆様に感謝して11/30まで過ごし、12/1 18:00浜松の家に戻りました。
ありがとう!!

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